「職人が鏝ひとつで」とはよく云うが、鏝の種類は多いこと!
塗る材、配合、工程、塗る面の下地や大きさ、表面の仕上げを「押さえる」か「撫でる」かによっても使い分ける必要があるからだ。さらに鏝鍛冶と左官職人、京と江戸でも呼称が違うというからややこしい。
「木鏝」から「金鏝」へと進化し、江戸末期から明治初期にかけて現主流の「中首鏝」が使われるようになり、道具としてほぼ完成している。この頃にやっと土で平らな壁を塗れるようになり、漆喰による細かな造形も可能になったと考えられている。
(漆喰鏝絵で知られる伊豆の長八が活躍したのもこの頃)
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土による建物は大昔から世界中にあるが、日本では貴族文化の熟成に従い、土壁の上から別の土や漆喰を上塗りして仕上げる「左官」の職分が独立し、京都を中心に発展してきた。時代が下り、火事が多かった江戸では、耐火の面から土蔵造りの技術が進んだ。"小江戸"と呼ばれる川越の一部の地域において、当時の町並みを留めている。
会場では「左官小史ー東京編ー」と題して、安土桃山時代後期の城郭建築の壁づくりから、江戸、近代の東京にいたる流れを辿る資料も展示されている。木鏝を経て金鏝の製法も進化し、江戸の末から明示初期にかけて現在主流の「中首鏝」が使われるようになり、道具としてほぼ完成形をみる。この頃にやっと土で平らな壁を塗れるようになり、漆喰による細かな造形も可能になったと考えられている(漆喰鏝絵で知られる伊豆の長八が活躍したのもこの頃)。文明開化後は洋風建築の装飾に用いられ、文字通りの華に。西洋風に不慣れな職人は『和洋左官雛形』などの見本帳を手引きとした(見開きで会場展示中)。
「職人が鏝ひとつで」とはよく云うが、会場に出展されている鏝の多いこと! 塗る材、配合、工程、塗る面の下地や大きさ、表面の仕上げを「押さえる」か「撫でる」かによっても使い分ける必要があるからだ。さらに鏝鍛冶と左官職人(所有者)、京と江戸でも呼称が違うというからややこしい。
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