鏝絵(こてえ)とは、漆喰を使って家や蔵の壁面に作られるレリーフ画のことです。
左官職人が「コテ」を使って製作したことから、その名がつきました。鏝絵の起源は古いのですがそれを芸術の域まで高めたのは
「伊豆の長八」であると考えられています。江戸時代中期、静岡の左官職人「入江長八(伊豆の長八)」は身を立てるため
江戸に赴き狩野派の絵師に弟子入りします。その後、左官と絵の技術を昇華させ芸術の域へと高めました。
大分県日出町出身の「青柳鯉市」が「伊豆の長八」に弟子入り。帰郷後の鯉市に大分各地の左官職人が師事し大分に鏝絵が広まりました。
そのため日本に約3,000あると言われる鏝絵の1/3が大分に集中、特に安心院には100点もの鏝絵が集っています。
大分県日出町
日出町観光協会
- 大分の鏝絵 -
大分県宇佐市街から車で約20分南下したところに、『安心院』と書いて『あじむ』と読む、人口約 8,500人の山間の町があります。ワインとすっぽんとともに、鏝絵(こてえ)で知られた町で、明治から大正期に作られた鏝絵が70余ヶ所に残されており、100年以上を経た現在でも当時と変わらない鮮やかさと美しさで鑑賞することができます。
鏝絵とは、家や土蔵の漆喰(しっくい)の妻壁や戸袋の壁などに、着色した漆喰を左官が使う鏝(こて)で塗り上げて描いた浮き彫りの模様(レリーフ)のことで、邪を遠ざけ、幸福を招く招福辟邪の祈りや五穀豊穣、子孫繁栄等の願いを込めて、七福神、龍虎、鶴亀、獅子、鷹、兎等々が描かれました。
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鏝絵のルーツは、古く高松古墳や法隆寺金堂の壁画に見られるといわれますが、江戸時代に鏝絵を確立したのが、”伊豆の長八”とよばれた左官職人『入江長八』(1815~1889年)でした。
伊豆国松崎村明地(現在の伊豆松崎町)の貧しい農家の長男として生まれた長八は、生来の手先きの器用さに将来を託し、12才のとき同村の左官棟梁のもとに弟子入りし、19才のときには意を決して江戸へ出、川越在住の狩野派の絵師の弟子となって、3年間みっちり絵の修行に励みます。
かたわら彫塑の技を修めた長八は、絵画や彫塑技法を漆喰細工に取り入れ、漆喰を以って鏝一つで巧みに絵を描き、あるいは彫塑して華麗な色彩を施し、漆喰装飾を芸術の域まで昇華させました。
長八の名が江戸中に知れ渡ったのは、日本橋茅場町の不動堂再建のときでした。多くの職人の中から腕を見込まれて選ばれた26歳の長八は、御拝柱の左右に見事な『昇り竜』と『下り竜』を造り上げ、名工としての名をはせたといわれます。
浅草観音堂、目黒祐天寺、成田不動尊など各地に名作を残しましたが、関東大震災によって作品の大半が焼失してしまい、現在、『伊豆の長八美術館』に約50点、浄感寺の『長八記念館』に約20点、入江長八の作品が展示公開されているそうです。
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その後、鏝絵は、長八に触発された職人たちの手によって全国に広がっていきました。豊後国(大分県)の日出藩(ひじはん)の普請方左官の五男として生まれ、当時日出藩の左官集団であった青柳家の養子となった青柳鯉市(あおやぎこいち)もその一人でした。
江戸に出て修行を積み、鏝絵の技術を持ち帰った鯉市は、藩の御用左官として仕えますが、明治維新後は、それまでの技術を生かして町場の職人となり、鏝絵の普及に努めたといわれます。大分県速見郡日出町には、江戸時代からの鏝絵10数点が残っているそうです。
鏝絵の技術は、日出から杵築(きつき)、長洲、安心院、そして玖珠(くす)へと伝わっていったと思われます。大分での鏝絵の流行は、西南戦争が終わった明治10年代に始まり、20~30年代に最盛期を迎えました。安心院では、長野鐵蔵、山上重太郎、佐藤本太郎の作品が多く見られ、中でも、長野鐵蔵は14人の弟子をかかえる大棟梁でした。
鏝絵は全国に存在しますが、大分県内には約 700ヶ所、1400点を越える鏝絵が残されていて、その内でも安心院は特に分布密度が日本一だといわれます。大分県内で多くの鏝絵が制作された背景として、多くの左官職人がいたこと、津久見(つくみ)が漆喰の材料である石灰の産地だったこと、明治時代に絹の輸出が奨励されて養蚕が盛んになり、安心院などの内陸部が経済的に潤った時期があったことなどが挙げられています。
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入江長八の技法が、立体的に盛り上げた漆喰の上に筆で顔料を塗る、いわば『上塗り技法』とも呼べるものだったのに対して、大分の鏝絵の多くは、ある程度盛り上げた白漆喰の上に、3~5mm程度の厚さで色漆喰を塗り被(かぶ)せて仕上げる、いわば『練り込み技法』とも呼べる技法によって作られているそうです。
練り込み技法だと微妙な描写はできませんが、同色の面で画面が構成され、単純だけれど力強さが発揮されます。また、上塗り技法は風化に弱いので、室内や風雨の当たらない部分にしか施工できないのに対して、練り込み技法の鏝絵は、表面が風化しても、漆喰に混ぜ込まれた顔料が新たに顔を出すので、色彩が消えることがありません。よって、 100年以上を経た現在でも当時と変わらない鮮やかさと美しさで鑑賞することができるのです。
【参考図書、参考サイト】
[1]鏝絵:フリー百科事典『ウィキペディア』
[2]安心院観光協会 |鏝絵って何
→ http://www.ajimukk.com/kote3-.html
[3]段上達雄『大分の鏝絵』、鏝絵資料集(安心院町教育委員会編、平成9年2月)
[4]入江長八:フリー百科事典『ウィキペディア』
[5]漆喰鏝絵の殿堂 伊豆の長八美術館
→ http://www.izu-matsuzaki.com/cyouhachi.html
[6]大分県立図書館ホームページ、青柳鯉市について
→ http://library.pref.oita.jp/docs/reference/k46.html
2007.10.17
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