行田市は言わずと知れた足袋の町です。「足袋の行田か、行田の足袋か」と言われ、昭和初期には全国シェア80%を誇っていました。洋服の普及で足袋から靴下へと変わってからは足袋工場も少なくなってきましたが、今もまだ、行田の足袋は健在(足袋ブランド200種以上)です!
埼玉県行田市は、国宝「金錯銘鉄剣」が出土した稲荷山古墳をはじめ、日本最大の円墳である丸墓山古墳など、9基の大型古墳が群集する「埼玉古墳群」を有し、埼玉県名発祥の地としてしられています。 また、市内には悠久の眠りから目覚め開花した古代蓮など42種類約12万株の蓮の花が咲く「古代蓮の里」、江戸時代の忍藩十万石の城下町を今に伝える「忍城址」のほか、旅の産地を物語る「足袋倉」が点在する風情ある街並みなど、豊かな自然と歴史が息づくまちです。
全国にその名を知らしめた行田の足袋。行田市は忍城(おしじょう)の城下町であるとともに、足袋の町でもありました。 行田は江戸時代より足袋製造が盛んとなり明治以降いち早く機械化に成功して『日本一の足袋の街』として発展しました。 最盛期には年間8,400万足が作られ、全国シェアは80%に達していた。 まさに町全体が足袋工場のような状況で、箱屋、印刷屋など関連産業も盛んだったという。 足袋の出荷が10月頃に集中することから、江戸末期から昭和30年代にかけて保管用に多くの足袋蔵が建てられました。 現在でも全国シェアの約半数を生産しており、『行田の足袋』として多くの方々に愛用されています。
行田市には明治時代から昭和時代に建てられた、200戸とも言われる蔵が存在しています。中でも行田市の主要な産業として発展した、足袋の生産に関わる、保管蔵が最も多くみられます。なぜ蔵が造られたのか江戸時代弘化3年(1864年)と明治5年(1872年)に大火が発生し、それをきっかけに蔵造りの耐火性がみとめられ、土蔵を中心に店舗などの蔵造りの建物が多く建てられました。
足袋蔵の保存で生まれた市民のネットワーク
行田のご案内。
行田市・足袋関連サイト